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北京の歴史

中国4000年の歴史と言われていますが、北京がこの国の首都になったのはそれほど古いことではなく、1267年にモンゴルのフビライ王が今の北京の地に大都と名付けたのが始まりです。それまで、中国全土を統一した秦や漢、隋、唐の時代にも首都ではなく、華北有数の都市のひとつでした。北京が燕と呼ばれていた戦国時代(紀元前3~4世紀)、諸都市の七雄の一つとしてその覇権を競っていましたが、西方の秦の王「政(後の始皇帝)」の力が突出して来た頃に、燕の太子丹が秦の王「政」を暗殺する為に刺客を送ったのが失敗します。それが元で燕は秦に滅ぼされてしまうのです。その後、秦が治める華北の有力都市として地方政権の都となったのです。

その後、モンゴルの元王朝が中国全土を支配し、北京が始めて中国全土を治める都として制定されたのです。遊牧民族として牧草地が必要だったモンゴル人には、北京は田畑が多すぎる上に人口も多過ぎる、自分達にとってはそうしたものはすべて不要なものでした。ところが、フビライ王の重臣であった耶律楚材(やりつそざい)が、農業や街の商工業の大切さを王に訴えることで、北京は焼け野原になることもなく街の人々も滅ぼされることもなく、元の王朝時代にも街は発展して行きました。その後、元に変わって明が支配するようになってから、一時的に首都は南京に移りましたが、永楽帝が政権をとった後に再び北京に首都を戻し、その当時は北平と呼ばれていた名称を初めて今の北京という名称に変えたのでした。このとき永楽帝が建立した紫禁城(今の故宮)は、累々と時の施政者に引き継がれて様々な歴史の舞台となります。

その後、一時的に満州族の清に占領されていた時にも北京はそのまま首都でした。19世紀になって、アヘン戦争で欧米の列強に攻撃され、その戦火は上海のみならず北京にまで影響を及ぼし、市内も放火や略奪が横行し大きな打撃を受けました。その後、太平天国の乱で清王朝は終わりを告げます。1912年に孫文が辛亥革命を起こして成立した中華民国は首都を南京に移し、孫文のあとを引き継いだ蒋介石は北伐を成功させ全国統一を果たしました。その後、日本軍が満州や華北に侵攻するのと時期を同じくして、中国共産党も地方で力を強めていました。その後、日本が第2次大戦に敗れると国民党と中国共産党との間で内戦が起こり、蒋介石と国民党はこの戦いに敗れ台湾に敗退します。そして1949年、中国共産党の毛沢東が北京の大安門で中華人民共和国の建国を宣言し、そのとき以来、北京が再び首都となったのです。

基本情報

北京の気候や地理、首都としての歴史などの基本情報に加え、オリンピックを控えた街の様子や経済、生活物価、日本の物価との違いなどについて紹介しています。また、言葉の問題や通貨について、飲み水のことやトイレ、コンビニ情報などまで網羅しています。

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